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[TOP] [↓] [BOTTOM] 12月 31日 月曜日
大晦日
1月2日に義母方の実家で新しい親戚にご挨拶をするということで、その際に渡す「引き出物」をとりにいく。
鯛や梅、松などにみたてて形成、装飾されたカマボコのセットである。
(こんなのやら、こんなのがはいっている)
富山にはめでたい席で カマボコ寿セットを贈る慣わしがあるというのは聞いていたが 福岡にもそのような風習があるとのこと。
もしかしたら義母の地域周辺かもしれないが、初耳で驚いた。
ありがたいことに義父母が私たちのために、私たちの名前で用意してくださったのだった。
最高気温は14度ということだったが、やはり肌寒い中鄙びた商店街を歩いて蒲鉾店に向かっているとペットショップがあった。
熱帯魚やインコがおり、こんな年末に売れるのかと漠然と眺めていたら、なんとウズラと鳥骨鶏が売られていた。
鳥骨鶏って、ペットなのか?!
そういえば義父母の家の近所で、広い敷地に10羽ずつ程度の鶏とウサギを飼っている家があった。
取り合わせからしてたぶん食用なのだろうと思い義母に聞いてみると、そうだという答え。
「あそこ、前はイノシシも飼ってたけど臭いからって不評で結局イノシシはやめちゃったみたい」
イノシシは臭さが原因で寿命を縮めたらしい。
鳥骨鶏もどこかで食用に飼われるのだろうか。
義祖母の家で簡単にご挨拶をしたが、なぜか途中でパチンコをしようという話になる。(なんで?!)
一家4人で大晦日にパチンコに行く。
パチンコ屋は客層がいかにもアレな感じで全体的にソレがちな雰囲気なので大嫌いな私は、
大晦日にソコにいることに若干ブルーになるが反対するほどのことでもなく、一緒に遊ぶ。
確率変動などのルールに反しないようひとり気をもむ(笑)が、やはりそういう人間に博打の神が微笑むこともなく
負けてしまった。
しかし途中カードを貸した相方がツキにツいて、トータルでかなりの勝ち。
お昼は買った分でおいしいチャンポンを食べる。
買ったのは相方だけだったらしく、いつも元気な義母が落ち込んでいた。
夜、紅白の裏番組を観ながら若干早いおせちと年越しそばをいただく。
こちらの地方にはおせちに寒天が入っている。
まさに所変われば、である。
同じ九州出身の実母のおせちに寒天は入っておらず日本は狭いようで広いと感心する。
行く年来る年をみていると平等院鳳凰堂が映った。
「平等院が印刷されているのって紙幣だった?硬貨だった?」と義母が発言したことから
正月を目前に皆でお財布をひっくり返す大騒ぎになった。
気づいたら義父は右手に財布、左手に二千円札を握り締めて2002年を迎えた。
正解:それは10円玉です。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 30日 日曜日
のぞみ
前日にお土産を買っておいたので当日は余裕をもって出発できた・・・はずだったが、
ハムスターをきれいな状態で友人夫妻に預けられるようにと直前になってカゴの掃除とワラの敷き替えをおこなってから
引渡しをしたため慌てての出発となった。
東京駅は大変な混雑で、皆殺伐としておりまさに一触即発の雰囲気が漂っていた。
のぞみにしておいてよかったと相方と目で合図。
目的地福岡につくとハムスターを預けた友人夫妻から「ハムスターはおいしくいただきます」というメールと、
博多出身の友人からは帰りの空港で寄るべきお店、買うべきお土産についての指南メールがきていた。
義父母は私たちの到着を楽しみにしていてくれたらしく、夜遅くついたにもかかわらず(いつもなら義父母が寝ている時間だ)
相方の小さい頃の写真が載っているアルバムを次から次と出して思い出話をしてくれたり、
帰るときにもっていくべき品々について口頭でリストア
プしてくれたりした。
その中に「ENEOSで景品としてもらった、CMでブルース・ウィリスが使っているガソリン注入ガンと同じ形をした、
銃型TVリモコン」がはいっていたのが若干ひっかかったが気にしないことにした。
夜 相方がメタルギアソリッドで遊ぶ。
発売日に買ったはいいが日々の残業などで遊ぶに遊べなかったものである。
ローズという、主人公の恋人キャラがあまりにとんでもないので大笑いするが実際いたら全く笑えない女である。
こんな女とつきあっていたら主人公は命がいくつあっても足りないと他人事ながら心配する。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 29日 土曜日
大変だ
起きたら午後だった。もう一日が短いのなんの・・・。
食事をとり身支度を済ますといなかへのお土産を買いに慌てて新宿に車を飛ばす。
帰ってきたらもう19:00だった。
◆明日から旅行の晩ご飯
・大根の梅肉和えサラダ
・トマト添え
・鶏肉と白菜と厚揚げの煮物
・お味噌汁(舞茸、ネギ、大根)
大根と白菜を昨日から集中的に使うが全然減らない。
結局さつまいもも加えたこの3点は残ったまま年越しだ。
帰ってきたら傷んでいる事必至。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 28日 金曜日
大掃除と忘年会
仕事納め。
午後から大掃除というので一応ジーンズで出社したものの1時間そこそこで終わるだろうとたかをくくっていた。
甘かった。ミッチリ3時間。もう汗だくだ。
家の大掃除もしてないのに、家以上の真剣さで掃除してしまった。
忘年会は焼肉屋だった。
焼肉。コップン騒ぎ以来まったく口にしていない。
躊躇したが脳スカ(脳スカスカ状態の略)上等!と言い放ち大量に食べた。
同様にコップン騒ぎ以来食べていないという男性がいたが、二人して目に涙すら浮かべながら「・・・染みる?」とお肉を堪能した。
牛肉の味さえ知らなければこんな思いしないのに。
牛肉のいけず。
ソフトウェア会社ということもあり、ゲーム好きが多い。
またなぜか非常にガンダム好きが多く、FFとガンダム話に高じる。
やがて結婚の話になり、私も含めいわゆる新婚組が4名ほどいたため
「いってらっしゃいのチュゥはするんだろう!ああ?」
「おかえりなさいのチュゥこそするんだろう!ああ?」
「むしろ一緒に風呂入るんだろ!あああん?!」
「っていうか毎日甘いんだろ!ああん!?」という話で大いに盛り上がる(?)
主に聞いていたのは独身25歳男性であったが、誰の目にも
「そういうキミがそうしたことを夢見てるんだろう、ああん?!」であることは明白であった。彼に幸あれ。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 27日 木曜日
ガジョー
年賀状が本日ようやく納品された。
先日我が家までやってきた店員さんはあの日泣くかというばかりの勢いだったが無事納品できるとなると
「テヘ」てなもんであった。
(まあ彼が悪いわけではないのかもしれないのだが、、、私は少なくとも受付もおこなった彼がせめて注文表だけではなく
受け取り用写しにもうちの電話番号を転記してくれていれば、などと思ったり。もういいか、しつこいな。)
家に帰ったのが相方ともども20:00。今日は二人とも早帰りである。
私など19:00定時にさく帰りだ。
ただならぬ勢いで帰ったので周りの人が驚いていた。
家に着くと猛烈な勢いで印字&メッセージ書き添え。
腱鞘炎と肩こりになるかという頃ようやく第一陣を書き終えた。
それにしても、裏面に写真と文面印刷をしておくと本当に楽だなあとつくづく思う。
来年もこれにしようか!と二人でひとしきり盛り上がっていたのだが、、、。
今気づいた。来年の正月には写真にできるようなネタはなく(ちなみに今年は「結婚して初めての正月を迎えました」
ということで挙式の際の写真である)、なにもなくただ二人の写真て、、、お寒いぞ。
◆作ってられるか!晩ご飯
・お寿司(デリバリー)
寿司専門チェーン店なのだが案外おいしくて気に入っている。
しかし近くの店舗が次々と2店舗閉店してしまったのである。
もはや配達ギリギリ区域。いま依頼しているところがつぶれたら、もう次はない。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 26日 水曜日
経過
そういえば昨日は「以前私が住んでいたマンションの隣のマンションに住んでいる」社員さんと途中まで帰宅道が一緒であったため
興奮のあまり書き忘れたが
(ちなみに今日も住所の一件について彼に言いたくてうずうずしていたのであった)
昨日は午前休をとってAクリニック(行きつけの産婦人科)にいったのだった。
術後の経過を診るためだが、経過は順調。
これまでに出血も発熱もなく、時折しくしく痛むぐらい。これはどうも子宮が内容物を押し出そうと収縮する際の痛みらしい。
それ自体は問題ないそうだ。
若干血の塊が中に残っているということで、子宮収縮剤をしばらく飲むことになった。
基礎体温をつけてくださいといわれてちょっぴりユーウツである。
(なぜって、朝起きぬけに「5分間体温計くわえる」というのは忘れがちかつ眠気でウトウトしがちで、
寝ぼけて齧りはしないかとちょっと恐いのだ(笑)寝なきゃいいんだけど)
年末の旅行はいっていいそうである。
バンザーイ、なしよ。
◆そろそろ旅行に向けて冷蔵庫内掃除メニュー
・焼きさんま(大根おろし添え)
・ベーコンとチンゲン菜炒め
・焼きナス
・トロロ&オクラ
・お味噌汁(お豆腐、舞茸、ネギ)
実家から送られた「救援物資」が、こうなるとちょっとうらめしくもあり。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 25日 火曜日
雪はどこいった
午後から雨が降る、雪になるかもという予報だったが外れ。
ホワイトクリスマスにはならず。
「だから、なに?」
と突き放し気味にいいたくなるような発言というものがある。
その人にしてみたら初めての発見なのだろうが言われた当人からしたらもう既に何百回と聞かれていてウンザリといった類のものや
「**さんて、XXでしょ」という"俺は知っている"顔といった類のものだ。
例えば私の場合は「身長高いね」がこれにあたる。
初めて会った方には申し訳ないが、身長167cmを指摘されるのはその方が初めてではない。
とりあえず毎回「ええ父方が身長が高くて」と流すが、向こうもそれ以上特につっこむこともなく「へえー」と若干尻つぼみになり、
こちらも父方の身長情報まで出すこともなかったなあと思いつつ「だからなんやねん」と心の中でコッソリ突っ込むのである。
また「俺は知っている」系では、鬼の首を取ったように「**さんて緑色好きだよねー」というものも。そんなこと言われても
「ええ、緑色がすきで」と答える以外にない。
また心の中で密かに「だから、なんやねん」と突っ込む。
不快ではないが少しヒネリがほしいところだ。
といっても彼らにしたら初発見なのだからヒネリようもないのだが。
そんな私がいま大変気になる人がいる。
長い間休職していたところを先週から復職した男性社員だ。
新人さんかと思ったら皆と仲良く話をしている。
新人さんではないので紹介してもらえないため、名前を覚えなければ、と思い座席表と社員一覧で名前を確認しようとした。
すると、社員一覧で発見したのだ。それは
「彼は私が結婚前に住んでいたマンションの、隣のマンションに住んでいる」ということだった。
語りたい・・・すごく語りたい。小一時間語り詰めたい。ああ。
でも、「だから、なに?!」・・・ああ。
◆クリスマスだった晩ご飯
・おでん(タレの素つきの具材パック)
・ゆで卵と昆布、大根のみ自前。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 24日 月曜日
べリーびっくりします
昨日は夫婦そろってなぜかまったく眠れず朝6時までゲームをしたりテレビを見たり。
その反動でお昼前まで寝ていた。
お昼を食べ、ケーキを買いに駅前まで行く途中、年賀状印刷を頼んでいたカメラ店に寄る事にした。
出来上がりは26日なのだが少し早めに仕上がる場合があるということで顔だけ出しておこうというつもりだった。
しかし 名前を名乗るとにわかに店長らしき人が慌てて各所に電話している。
何事かと思えば、注文書を紛失してしまい、印刷もできておらず、しかも連絡先を注文封筒に転記していなかったために
我が家に連絡すらできなかったそうなのだ。
結婚後最初の年賀状ということで、披露宴をあげていないため親戚への初ご挨拶も兼ねており元旦配達は外せない
と考えていたので驚き、怒った。
聞くと「写真だけ印刷したんですが、注文書を紛失したのでどの型番の文言を印刷するかわからなくなり、、」ということだった。
写真だけ印刷して?なにか要領を得ない。
だって写真の周りの、デザイン指定は注文封筒に書いてるからわかるのでは?と怒りながらも混乱して突っ込めずにいた。
店側から最短でも29日仕上がりになります、と言われる。
29日じゃもう元旦には間に合わないではないか、、、。
文句を言いつつも、言っても始まらないと相方になだめられとにかく早めに仕上げてくださいと依頼して買い物に行った。
夜、晩ご飯を食べ一段落してクリスマスケーキでも食べようかという頃、一本の電話があった。
件のカメラ店からで、なんと「どの写真を印刷していいかわからないのでお宅に伺って確認したい」というのだ。
写真、印刷したっていってなかったっけ・・・。
あのとき言ったことはウソだったんか!
怒りでワナワナしたが、やってきたのはバイトと思しき男性。彼に怒ってもしょうがないし、
家まで押さえられたら今日日なにされるかわからないし。
ということでおとなしく写真を指し示してお引取りいただいた。
彼が持ってきていた、印刷所から転送されたらしい「印刷済写真」には われわれが指定したのとは全く違うものが載っていた。
ワナワナ。
◆クリスマスだよ晩ご飯
・唐揚げ
・サラダ(レタス、ブロッコリーとゆで卵のマヨネーズ和え、トマト)
・自家製コーンポタージュ
・チンゲン菜とエビのスパゲティ
ポタージュはホワイトソースとスープを別に作る方法で若干時間がかかるのだが、かかった分点数が少なくて寂しい食卓。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 23日 日曜日
食事会
ここ数年来クリスマス近くになると、友人夫妻と4人で食事会をしている。
家でもてなしたり、もてなされたり、外食したり。
今年は私の体調が悪く、遠出ができないので、うちから歩いて1分のところにあるイタリア料理店で食事会をすることにした。
近いにもほどがある。
クリスマスということで、互いにくだらないプレゼントを贈り"つけ"あうのが慣わしになりつつある。
15個のカエルが点滅するオーナメント(これは昨年いただいたもので、今年彼らが我が家にきた際点けてみたところ、
自分たちが贈ったことも忘れて『うわーこんなんいらねー』と評していた)や、
カエルの形の印鑑入れ、
カエルの二足歩行人形などである。
ってカエルばっかりだよ!
うちも負けじと絶対外れそうにない知恵の輪や手品セット(しかも一番ベタな『2本のヒモがなんと1本に!?このキットは練習がいりません?』)や
電池で動くしゃべるネコなど「人間一度は興味を持つが絶対自分じゃ買わないし多分一回遊べば飽きるセット」を贈り"つけ"てる。
一応あまり大きなものなどは贈らないよう互いに自制はしているのだが、年々くだらなさに拍車がかかっており、
受けを狙うためなら金に糸目をつけなくなるのではないかと若干心配でもある。
実は一番心配されているのが私なのだが。
◆行ったお店は"料理の鉄人"イタリアンの鉄人の店だった。
・温かいフォアグラとコンソメの小さなスープ
・トマトを練りこんだパン、フランスパン
・縮緬キャベツのテリーヌ
・自家製パスタ タリアテッレ
・青首鴨のロースト
・チョコムース、エスプレッソ
普段はお手ごろ価格(2,000円のディナー)のお店なのだが、やはり時期が時期だけにクリスマス価格。
ただし、料理はどれもはずれがなかったし、殊に自家製パスタは本当に絶妙なゆで加減&風味であったこと、
お店のサービスと気取らない雰囲気がよかったことで4人とも大満足。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 22日 土曜日
一日ゴロゴロ
非常にダルく、一日寝たり起きたり。
私の実家から、そのまた実家から送られたというさまざまな食品がお裾分け転送された。
我が家につく前に、実家の母が電話をかけてきて転送通告をした。
「中には味噌と大根とお餅とみかんと白菜が入ってるから」
ドとレとミとファとソとラとシの音が?でないという状況だ。むしろなにが入ってないか言ってほしい具合。
はいはい、とお礼を言って電話を切ると5分後に再度電話があり、
「さっき言い忘れたけど味噌は2種類だから。片方は手作りだから。」
うん、わかったと御礼をいって電話を切ろうとすると
「ところで、言い忘れたけど、さつまいもも入ってるから、2つよ。」
人の心の隙をついて思わず自分の不利になるようなことを言わせてしまう、コロンボのような手法である。まいった。
◆わかったよコロンボさん、使うよ、救援物資晩ご飯
・ふろふき大根
・鮭の大葉チーズ巻き焼き
レタスとトマト添え
・白菜のピリ辛浅漬け
・お味噌汁(お豆腐、大根の葉、人参)
濃いものばかり作ってしまって若干もたれ気味。
でも確かに田舎の伯母が作った味噌は深みがあっておいしい。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 21日 金曜日
初雪観測
会社のある千代田区ではぼた雪、粉雪の後積もることなくすぐ雨になったが相方の会社のある立川では一時豪雪だったそうな。
積もらなくてよかった。
中央線が止まると三鷹以西は陸の孤島だから。
会社のすぐそばにデリができた。
デリという名を借りたパン屋なのだが、酵母を使ったパンとかで、とても歯ごたえがある。
モチモチしていてどれを買ってもおいしい。
値段もまあそこそこ手ごろ、だろうか。
30歳前後と思しき男性が一人で黙々とパンをこねている。こだわりのパンだ。
しかしだ。問題はパートのレジのおばちゃん(以下「デリおば」)である。
開店後1週間、デリは長蛇の列になった。
もちろん新店舗に興味津々の新規客の列だったし、店舗自体も人が3人入ったらもういっぱいという広さというせいもある。
しかし違うのだ。原因は、デリおば。
1人のレジうちに平均5分、長い場合10分近くかけるのでちっとも進まないのである。
あまり学習をしない様子である。しかも悪びれる風もない。
ある日の お客さん(30代後半の男性)との会話:
男性「これ」(とレジへパンを3つ出す)
デリおば「えーっと、**と**と、,,,,,っと、んーーーーで、340円です」
私(へー、3つで340円?安いなあ)
男性「いや、ぼくもっと買ってますよ」
デリおば「あらあら、1個間違ってたー、えーと全部取り消してー、**と、**と、**、、、えーとあと、これ、、、で、、、、980円」
男性「、、、そんなに買ってません」
デリおば「えーと全部取り消してーっと」
お客も何買ったかわかってるんだから正解を教えてあげてくれ!(笑)
また別の日のデリおばのレジ風景。
またも3つのパンの料金を打ち込むのに5分ほどかけている。ようやく計算が終わった.
お客「735円ですね、じゃあ 1,035円、はい」
デリおば「1,035?、、、ってことは?あら?おつりはいくらかしら。えーと135円?」
その様子を見ていた後ろに並んでいた人々、いっせいに棚を振り返って価格表を確かめると暗算を始め、
財布を開けて小銭を握り始めた。
今日のデリおば。
私の後ろの女性が誤ってパンをトングで挟みそこね床に落としてしまった。
しかも大きな荷物を持っていて自分で拾えなくて焦っている様子。
一番私が近かったので「ごめんなさい、落ちてるし、もう手で触って拾いますね、いいですよね?」とデリおばと、
パンを落とした女性にも一応断って手で拾いあげ、レジのカウンターに直に置いた。
女性はしきりに恐縮して私に礼を言い、デリおばに詫びて頭を下げ、「落とした分、払いますから」と申し出ている。
私は内心(まあ普通はお店側でロスとして処分するんだろうな)と思っていた。
すると突然、デリおばから、緊急セーフガード発動(意味不明)。
「あー、あーいいのいいの。それ、店頭に戻しておいて。床、あたしが掃除してキレイだから」
・・・!!!!
店内にいる客4名から漏れる失笑。
床に落ち、転げ、私が指でつまみ、カウンターに置いた少し餡の飛び出たその抹茶パン、どうなったんだろう・・・。
狭いのでレジが終わると長いこといられず、見届けられなかった。
私ができたことといえば、ただ会社に帰って即みんなに「今日は抹茶パンは危ないから買っちゃダメ」と宣告することだけだった。
デリ、パンはおいしいのだ。パンは。
おいしいパンとネタを探しに今日もデリに行ってしまう私である。
◆突撃ウチの晩ご飯
・ホイコーロー(あとはキャベツいれるだけ!のレトルトシリーズ)
・ワンタンスープ(生ワンタンスープつき、チンゲン菜)
・ナスの素揚げ(ネギ、しょうが)
・キノコのキンピラ(舞茸、えのきだけ、人参)
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[TOP] [↓] [↑] 12月 20日 木曜日
5日ぶりの会社
月曜から3日間休んだ会社に(土日を入れると)5日ぶりに出社。
行くまでテンションをあげられるか心配だったが、やはり行って正解、非常に気が紛れた。
直属の先輩や周りの人にも結果報告して後は普通に一日を過ごす。
何が心配といって腫れ物に触るような扱いをされたらどうしようと思ったが、皆非常に気遣いつつも
普段どおり接してくれた。感謝。
先輩(ったって6つも年下だけど)などは
「これ、賞味期限切れだけどオレ食ってうまかったんで**さんにあげます」といって
1ヶ月切れのブールミッシュのお菓子をくれたりした(笑)
ありがたく気持ちだけいただき、その後はほかのみんなに「期限切れのお菓子をたべてダイエットと美白!」と称して小分けして
ギャーギャー大騒ぎしながらつついてもらった。
今週末あたりにうちの会社の存亡がかかっているかもしれない。
ボスたちは不在だったが、昨日家から出した流産報告メールの返事がきていた。
送った内容には仕事への影響について触れていたのだが、返事には仕事のしの字もなく、とにかく心身ともに大変な時期だから
ゆっくり休めと書いてあった。
それが?と思うかもしれないが会社というと前のビジネスライクな上下関係の会社しか知らないのでそのような
人情第一の対応をしらないのだ。
うれしさ半分とまどい半分。
◆突撃隣の晩ご飯
・とんかつ(惣菜屋で買った「あとは揚げるだけ」の生パン粉つき)
・サラダ(レタス、トマト)
マッシュドポテト添え(コーン、タマネギ、人参)
・お味噌汁(お豆腐、舞茸、ねぎ)
・納豆
閉店ギリギリにスーパーに行ったので豚肉、鶏肉のめぼしいものがほとんどなく焦った。
かろうじて見つけた生パン粉つきヒレカツ(あとは揚げるだけ!)を買ったら思いのほかおいしかった。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 19日 水曜日
自宅待機2日目
今日まで会社を休ませてもらった。
明日会社にいったら席ないかも・・・入社1ヶ月目にいろいろやりすぎ、飛ばしすぎ。
会社のボス達には正式に報告していなかったのでまずはとりあえずメールで近況報告。
今日は体を動かしてもそんなに辛くないので久しぶりにお布団を干す。
実は妊娠中はお布団干しをさぼっていたのだった。
考えたら晴れた土日に相方に頼めばいいだけの話だったんだけど。これはよく覚えておこう(アホ)
一日、冗談も休み休みしながら 掃除と洗濯。えらい時間がかかる。
椅子生活に戻ろうとするけれど2時間も座るときつい。もう痔持ち並だ。
それからなぜか腿が痛い。
筋肉痛というか、今にもこむら返り(腿版)が起こりそうな痛みなのだ。
妊娠後期、カルシウム不足になると頻繁に足がつるそうだが今回の一件でカルシウムがかなりなくなったんだろうか。
栄養のバランスに気をつけないと・・・。
◆突撃ウチの晩ご飯
・鶏肉と白菜のワイン蒸し煮
・ほうれん草とベーコンのバターソテー
・サラダ(レタス、トマトとゆで卵のマヨネーズ和え)
買い物にいけないので在庫処分。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 18日 火曜日
安静
自宅で安静に、といわれて一日寝たり起きたり。
午後1時間だけメールチェックと日記だけ書いてみたが座っていると痛むので(痔持ちみたい)
やはり横になっていた。
夕食も相方がコンビニでお弁当を買ってきてくれた。
家が荒れてる。
一日は何もなく過ぎた。今日の成果物(?)。
・ワンギリ1回
・キャッチセールス電話1回
キャッチに至っては 以前うちの番号を使っていた方への電話だったのだが、今は持ち主が違うと知るや
「まあいいや」とばかりに「ところでお宅、1歳から6歳のお子さん、いますーう?」
この場当たり的な営業振りに腹が立ち、大人気なくも低〜い声で
「・・・亡くなったばかりですっ」。
「あらやだごめんなさーいっ(ガチャン)」
そういえば担当者名どころか会社名も聞いていなかった。不覚。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 17日 月曜日
処置
何か食べている方や痛いのが嫌いな方は読まないほうがいいと思う。
流産の処置の話を書く。
感傷的にならないようにしたかったけれど、どうしても感傷的になり読みづらくて申し訳ないと思うが
正直な気持ちなので残しておくことにする。ついでに言うと余計なことも沢山書いてあることも予め付記しておく。
私の場合、子宮内容物が外に出てしまうことなく完全な形のまま残っていたのですべてを外に出す処置が必要だった。
中絶と同じことをするのだ。
8:45 病院に行く。
9:40 もう一度、今度は夫婦そろって胎児の心拍停止を確認する。
診察室で状況説明を受けた後、内診室で子宮内を診る。
9週目の子供はすでに四肢ができており、赤ちゃんのお得意ポーズ:両手両足を曲げて体を丸める、あのポーズをしている。
一部をアップにするとアイホールまでうっすら見えるのだ。
相方に超音波で撮った写真は見せていたが映像は今回初めて見る。
先生は夫に向かって 生きているときはどのように見えるべきかを説明している。
つまりこんなにはっきりと死んでいますよ、ということを確認しているのだと当然のことを思った。
泣くまいと思っていたのにこのときばかりは涙が止まらなかった。
診察室に戻ると、このまま放っておくとやがて出血が始まることを説明され、早めの処置を勧められた。
これはこの土日にわかっていたことだったのですぐにでもと承諾した。
先生は
1.子宮内に子宮口を広げるための棒を挿すこと
2.全身麻酔により内容物をすべて掻き出す処置をおこなうこと、静脈に点滴をうつこと
3.内容物(子供を含んだその他すべて)については原因究明のため解剖をすべきこと
についての承諾書を書いた。夫婦でサインした。
2については保険が利くが1は自費になることの説明を受けた。
料金は全部で5万円弱だそうだ。
予定はこうだった。
10:00(その診察の時刻):すぐにも子宮口を広げる棒を入れる
〜14:30:自宅に帰り、安静にする。その間水も食べ物も一切口にしない。ずっと横になっていること。
14:30:処置。全身麻酔をするが5分程度で終わり。
早ければ2,3時間後には帰れる。
9:55。ということで早速処置。
しかし、だ。
この子宮口を広げる棒というのがどういうものなのか、入れたとたんに
体の中に杭を打たれたような(打たれたたことないが)痛みが走った。
無言で自ら命を消した胎児を思えば痛いなんて言うもんかと思っていたが、内診台の上で無言で5cmほど伸び上がってしまった。
「痛い?」「気が遠くなりそうなことはありますか?」と先生に聞かれる声が遠くに聞こえる。
大丈夫です・・・と答えるが息も絶え絶え。
3分ほどで棒をいれる処置は済み、診察室に戻る。
「たまに生理痛と同じ痛みを覚える方などがいますが」という説明を受け始めた途端目の前が真っ暗になった。
「すみません、非常に気分が」
までいった後 突然身の回りがあわただしくなった。
小さな看護婦さんに支えられて仮のベッドがある部屋まで7mほど歩くと、ベッドの上になにかいろいろ置いてあったはずなのだが、
それを確認したものの何もできずに倒れこんでしまった。
吐き気がして目の前がぐるぐる回り、息が苦しい。
最後に吐いたのはいつだっけ。
ああたしか小学生のとき、マックのハンバーガー食べた何時間か後に食べた生牡蠣にあたったとき以来だっけ。
あれが原因で10年以上マック食べられなかったんだよなあ、
でも生牡蠣はあの後も何度も食べたなあ、、、、とどうでもいいことを思いながら、吐くこともめまいも滅多にないので
急に自分がここで消えてしまうのではないかとかなり弱気になった。
相方が手を握ってくれたが、冷え性のはずの相方の手がかなり暖かい。
10:25。自分では5分ほどかと思ったが時計を見たら25分近く朦朧としていたらしい。ようやく立てるほどになり、
いったん家に帰ることにした。
しかし、さきほど支えていただいた看護婦さんに「どうもお世話になり」まで言った途端、結局またその場で倒れてしまった。
またお世話になるなら「なります」までいって倒れたほうがよかった。
結局同じベッドで 午後の処置まで横にさせていただくことになった。
相方は私の会社に連絡をとってくれると、家までめがね・コンタクトセットを取りにいった。
(処置後、しばらく寝ることになるのでコンタクトをしている人は必須らしい)
11:00。それまでずっと手を握ってくれていた相方だったが、どうしてもやらなければならない仕事があるので、それだけやってくる、
処置には間に合うよう戻るから頑張れ、といって病院を後にした。
忙しい時期なのに本当にありがたいことだと感謝。
11:30。上半身を起こせるようになり、コンタクトを外す。
12:10。病院の午前の診療が終わった時刻。ウトウトしているとさきほどの看護婦さんがきて、
入院産婦さん用ベッドが空いているのでそちらで休んでくださいといわれ、病室へ移る。
体内の痛みはたまに引きつる程度で、それほどではなくなった。
水が飲みたい。
13:00。10分単位でウトウトしては目覚めていたが、ここで病室の毛布を替えに来た看護婦さんに 下着をすべてとり、
処置用のパジャマ様の服に着替えるよう指示された。着替えると全身麻酔という言葉に急に緊張する。
14:00。またウトウトしては目覚める、を繰り返す。近くで乳児の声がする。空耳ではなく、
病室前のホールで乳児をもつ母親を対象とした教室が開かれているのだった。
14:20。処置服だったので恥ずかしかったが、処置前にお手洗いにいっておこうとホールに出る。
乳児とその母親たちが床にすわって談笑していた。今度はそっちに座りたいなあと思う。
水が飲みたい。
14:30。ダレもこないので少し不安になる。
14:45。またウトウトしていたらようやく看護婦がきて処置室へ連れて行かれた。分娩室らしい。
内診台に初めて乗ったとき以来産婦人科では恥ずかしいとか言ってる場合でないのはわかっていたが、
両手両足を拘束帯で固定された後、服の前をすべてはだけてくださいといわれてさすがに躊躇した。
(といってももちろん自由のきかない身なので看護婦にどんどん脱がされたが)
手際よく 右手親指に脈拍計の洗濯バサミ様のもの、胸数箇所にも心拍計の端子(?)、
右手上腕部に血圧計をつけられる。見事。
その間、左手はひじのあたりを強く巻かれ、手を握り、開きを繰り返す。
静脈を出し注射をするためだったが、2回ほどチクリとしたのでみるといつのまにか点滴がうたれていた。
めがねをかけっぱなしだったので外された。
先生が「目の前がボーっとしたら言ってくださいね」とおっしゃった。
突然、「極度の緊張が麻酔の効きを悪くする」ことを思い出した。
全身麻酔って大丈夫かなあ、効かなかったらもっと打たれるのかなと思ったが 思った途端に 天井の明かりが二重に見えた。
「ボーっと、して、きました」
その後いつ眠ってしまったのかまったく覚えていない。
次に気づいたのは先生の
「今終わりましたよ」という声だった。
看護婦さんがもう一度「無事終わりましたよ?」と声をかけてくださり
そうか返事をしなければと思い、精一杯ハイと言って頷いたつもりだったが返事ができたかわからない。目も開けられなかった。
下半身がえぐれるように痛かった。
早く体を丸くしたかった。
両足から拘束帯がはずされた様だったのですぐに横になり体を丸くした。
看護婦さんの声で「今より痛くなることはありませんからね」といわれて救われた思いだったが
えぐれるような痛みは変わらず、ハイといったかどうかもわからない。
それからまた記憶がなかった。
(目をつぶって目を開けた、ぐらいのつもりでいたがあとで聞いたら
術後30分だったらしい。)
次に気が付いたのは相方が処置室に飛び込んできた音だった。
「ごめんな!急いできたんだけど間に合わなくてごめんな、もう俺がいるからな」
といって手を握ってくれた。
こういうときの信頼している人間の「俺がいるから」という言葉は何の役にも立たないように見えて実は弱っている人間には本当にありがたい言葉である。
「もー、ばかだなあ、処置中は入れないし、麻酔でしばらく寝たままなんだから急がなくてよかったんだよ」と思ったが無性に嬉しかった。
私はまだ目が開けられず朦朧としていたが 相方が来てくれたことへの感謝の気持ちを示したかったので「ウン」と返事をして ニッコリ笑った、つもりだった。
(あとで相方が「あのときちゃんとウンと返事してこうやって笑っていた」と再現してくれたがハッキリいって アホノコ丸出しの表情で我ながらがっかりした。所詮女優さんがドラマで見せる「弱っているがけなげな微笑の妻」というのは無理があるのだった。)
処置が終わったのは5分間、終了時刻14:55ぐらいだったらしい。
その後相方が処置室へ来て私がブッサイクに笑ったのが15:20ぐらい、
もう一度気がついて病室へ戻ったのが15:40。
ちなみに処置が終わると、ポケットに入れていた下着をいつのまにか穿かされていた。
当然 パジャマも前を全部きちんと止められていた。
全裸を見られたのも恥ずかしかったが、下着の着脱なんてもう恥ずかしさの極みだ。
想像しただけでたまらないものがあった。
さて、処置室から部屋まで、普通は車椅子で戻るらしいが私の場合はなんとか歩けたので歩いて戻った。
点滴はつけたままで、後少しで切れますよという予告どおり16:00頃切れた。
その間、まだよく目が開かなかったが 相方がいなくなってからのことを時系列で説明した。
ここで 看護婦さんが点滴を外しに来てくれた。
なによりありがたかったのは お茶のパックをくださったことだった。
何も言わずに一気飲み。
17:00まで横になったが家に帰って横になったほうがいいだろうということで、服に着替えて歩く。
歩けるもんだ。
お腹の痛みは若干治まってたまにツれたように痛む程度になった。
お手洗いにいくと生理とは違う鮮血が出ていて驚いたが手術の内容を考えると当たり前かと思ったりした。
先生にもう一度内診していただく。子宮内になにも残っていないことの確認と、処置後の傷が大きくないこと、
出血は一週間ほど続くこと、2,3日は絶対安静で1週間は安静にすることを言い渡された。
食べてはいけないものはないが栄養のあるものを食べること、1週間後にもう一度内診をして経過を見ること、
それが終わったら1ヶ月単位で経過を見て行くことを説明された。
出血止め、痛み止め、妊婦はもともと感染症に弱いのだがそんななかで処置をしたということで感染止めの薬をいただく。
夫婦で神妙に術後の説明を聞いていたが、話の最後の方で先生が
「今回は本当に残念な結果になりました。お二人なくなってしまいましたが、次の3人目は元気に育つように一緒にやっていきましょうね」
とおっしゃったとき、またも泣きそうになった。
最後の最後に先生が「内容物はごらんになりますか?」とお尋ねになった。
お子さんを、とおっしゃったのかもしれない。
私は慌てて「いえ、見るだけ辛いので結構です」と断ってしまったがあとで相方に「俺は見てもよかったよ」といわれ、
"親"として最後の務めだったろうかと少し悔やんだりもした。
そのときの精神状態ではいっぱいいっぱいで見たら正常な気持ちではいられないように思ったのだった。
17:20 病院を出る。歩ける。おなかが引きつるが耐えられないほどではない。
家事は控えるようにということだったので、近くのスーパーでお惣菜を買って夕食にした。
夜。もう泣くこともないと思ったが何度か相方がいてくれてよかったなあとか、実際非常に痛み始めたお腹とか、
それを痛いなどと思ってしまう自分への腹立たしさで泣けてしまった。
朝5時ぐらいまで眠れなかった。
悲しくて痛くてむやみに後悔の気持ちばかり。
堕胎に事情のある人がいることは理解するが、そうではなく
簡単にセックスして簡単に妊娠して簡単に堕胎してしまう人の気持ちはわからないなあ・・・
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立ち直り
昨日は一日感傷的になり相方と二人何がいけなかったのかと原因探しをしていた。原因がないのはわかっていたが。
今日は起きると相方が一言
「もう何が原因かなんて考えるのはやめよう」と言ってくれた。
一日経つと気持ちも少しおさまり、年賀状印刷の依頼と買い物に行った。
帰ってきて関係各所にメールや電話を入れ、事の顛末を説明した。
双子MLも脱会した。次も双子だといいなあと思いながら。わがままだろうか。
明日は再検査と処置日だ。
一週間は安静にしなければならないとも聞いており、しばらく日記の更新は休みかな。
◆突撃うちの晩ご飯
牡蠣しゃぶしゃぶ
(自家製ポン酢+とろろをツケダレとして)
生食用牡蠣、白菜、舞茸、えのきだけ、椎茸、豆腐、マロニー
先日TVでやっていたので無性に食べたくなり作ったのだが
このトロロ(ダシで伸ばし卵黄を混ぜておく)がポン酢とあい非常においしい。お勧め。
ただし激しく満腹になるので要注意。
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流産
定期検診に行った。
超音波検診でいつもより長いこと先生が診ている。
何も言わず、心なしか動きが速い。
お魚型からようやく人間の形になった2人の赤ちゃんの影が、今までとみえ方の違うことに気づいたが
大きくなるとこう見えるんだとワクワクさえしていた。
先生がやがてため息をついて「残念ながら妊娠は続いていないようです」とはっきりおっしゃった。
2人とも心拍が停止していること、亡くなって1週間ほど経っていることを説明してくださったが
理解はできるもののにわかに受け入れがたく、私は呆然としていた。
検診台から診察室に戻ってから 先生までもが落胆した様子で
「今日は旦那さまはご一緒ですか?(きていません)そうですか、、、、。
できれば来週早いうちにご一緒にいらしてください。
もう一度診てみましょう。ただ、大きさが先週のままでとまっています。
2人とも心拍が見えません。もしなんでしたらドクターを変えてみるっていうこともできますよ」
"信じられないでしょうから、ほかをあたってくださっていいんですよ"ということだ。
そんなことしませんよ、先生のことは信用してますと思ったが
返事は頭悪い人のようにハイ、ハイと相槌をうっているだけだった。
「何か質問はありますか?」
と聞かれた。本当は 流産の理由を聞きたかった。
中にまだちゃんとした形で残っているのに死んでいるというのが理解できなかった。
初期の流産には「子供に生命力がなかった」以外の理由のないのは知っていたけれど。
グルグルといろいろなことを考えた挙句、私が聞いたのは
「教習所に通っても大丈夫ですか?」「年末に旅行に行きますが大丈夫ですか?」
という"妊婦としての"質問だった。
心の中ではああ私はバカだ、という気持ちで自分を眺めていたが、まるで
「来週の検診でひょっとしたら生きてるってこともあるかも」と
信じている人のようにそんな質問をしていた。
先生は目をあわせられずにいたようだ。でも言葉を選んで質問に答えてくださった。
診察が終わり、会計を終わらせるまで待合室で待っていた。
小さいところなのでみんな顔が見えてしまうのだが2,3人が訝しそうな顔でこちらを見ていた。
たぶん極端に顔色が悪かったか、呆然としていたのだろう。
会計を済ませて、出口に向かう階段で後ろから3歳ぐらいの子供が
かけあがってきた。
下にいた母親を呼んだのだろう、「ママー」と叫んだ。
その途端こらえていた涙がどっとあふれて止まらなくなった。
くだらない感傷であることはわかっていたがどうにもできなかった。
帰る途中泣きながら家に電話をした。
家に帰ると二人とも1日寝込んでしまった。
相方など丁寧に熱まで出した。
ぼうっとして寝たり起きたりだったので途中で今日の出来事が
夢だったように思ってホッとしたかと思うと、しばらくして本当だったのだ、と思い出してまた泣けた。
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キングボスと実家
今日仕事をしていると昨日報告をしそびれたキングボス(仮名)から声がかかった。
「例の件、時間ちょうだい」
で、いなくなる。ん?時間ちょうだいって今話しましょうってこと?と思い追いかけて聞いてみた。
すると
「うん、今までうちの会社で(産休)とった人いないからさ。**さん(私)が取るなら制度作っておこうと思って今作ってるんだよ。」
「あれ?お聞きになったんですか?」
「うん(ニヤリ)、("ボス")から聞いた。」
ああ、ありがたい・・・と脱力しているとキングボスはさらに
「ボクのカミさんもさー、双子のかーさんなんだよね(ニヤリ)」
ン?え?双子さんのパパさんで?!
意外なところに友軍が。
何%かの確率で誤射もあるらしいし寝返って迎え撃たれるかもしれないが。
とりあえず在籍はできるようで一安心。
ってなんで在籍にこだわってるかよくわからない。
相方が「いつでも辞めて、専業になっていいんだよ」と言ってくれるので逆に安心して働けるような気がするのかな。
帰りは相方と実家へ。
結婚以来実家に送られていた祝い品や現金をいただきにいく目的だったが、結局妊娠報告ツアーになった。
本当は安定期に入ってからと思っていたがまあいいタイミングかもね、と。
妊娠は喜んでくれそうだが、双子と聞いたら心配性の母は卒倒するのでは?と心配したが(そんな私も心配性?)
手放しに喜んでくれた。
これまた相方ともども拍子抜け。
まあ案の定「このポーズは絶対ダメ」「あとこういう格好もだめ」と全部ゼスチャー付で心配していたが。
気恥ずかしさから事前に、どっちが言うかでちょっとなすりあいになっていた。
まあ当人がきっかけを作るのがよいだろう、ということで、私がくじをひいた。
ご飯も食べて落ち着いた頃を見計らって うん、それでね、子供ができたみたいなの、とできるだけ
自然にサラリといったつもりだった。
がなにかやはり不自然に早口になってしまった。
二人とも一瞬エ?という顔をして呆然としたまま「無表情にシンバルを叩く人形」のように
パチパチと手を叩いていたのがあとでジンワリとおかしかった。
ついでに書くと
「なんだ、おおそうか子供できたか、そうかそうか、じゃあこれ持っていけ」
と「鹿児島のおいしい深海水」(2リットル)を3本もくれた父よ、まあ落ち着け・・・・。
◆実家でウマー晩ご飯
・鉄火丼
・お味噌汁(里芋、豆腐、白菜)
・サラダ(レタス、レーズン、タマネギ)
・キンピラゴボウ
本当に味噌汁がおいしい。味噌はやはり麦味噌に限る。
相方も九州人のご両親に育てられたので「懐かしい、うまい!」といってゴクゴク飲んでいた。
近所の西友で売ってる麦味噌、今ひとつなんだよね・・・
鉄火丼の酢飯にシソの葉千切り&ネギを混ぜると格段においしいことが判明。
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やっぱり眠気は?
眠気のビッグウェーブはおさまった模様。
仕事中眠いこともあるが「ああ眠気が」という意識があるので大丈夫だ。
今週出産予定日決定ということ、体調も落ち着いているということから
業務調整も年末年始前に依頼しておかねばと2人のボスに妊娠をご報告。
(といっても1人はどうしてもつかまらなかったが・・・)
片方のボスは おめでとう!いいなあー双子!業務は調整できるようにするから、仕事はほどほどにね。
とあっけない反応だった。
もっともっと、何か言われるかと思った・・・拍子抜け。
あとはもう1名のボスだ。
◆実録うちの晩ご飯
・牡蠣フライ&エビフライ
自家製タルタルソースとレモン添え
・サラダ(レタス&セロリ&人参)
・お味噌汁(お豆腐、えのきだけ、ワカメ)
・ほうれん草のお浸し
・納豆
牡蠣フライがおいしいー(自分で言うのもナンだが)
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[TOP] [↓] [↑] 12月 12日 水曜日
サルサでアミーゴ
今日は眠気もムカつきもなく1日快適。
もしかしたら、、、眠りつわりも終わったのかな?
おなかが出てきた。服を着るとまだわからないらしいが。体重は1kg増えた。
でもこのおなかの出具合は 今まで経験したことのあるベンピのそれでも、脂肪のそれでもない。
胃の下からおなかにかけての部分だけが、前に向かってゆるやかに出てきた。
実は先週ぐらいからすでにボトムのほとんどが入らず、ホックをはずして着ている。たぶん3,4cm増だろう。
トップスはだいたいニットなのだが最近のニットは若干短めなのでちょっと油断すると「全開」になりかねない(笑)
だから今は
「バンザーイ、なしよ」
何を食べてもしょっぱいのは相変わらずだが食べたくないものは減ってきたように思う。
あんなに好きだったコーヒーが一時期どうしてもだめな香りのワースト1だったが、なんとか飲めるまでに回復した。
というか飲んじゃだめなんだけど・・・。
とりあえず今食べたくない、避けたい食べ物は先日作りすぎたために2日間食べ倒したおでんだけ、である。
今日は相方が珍しく19:00に家に帰ったので、19:00定時の私は買い物もせずダッシュで帰宅。
というわけでまたもサラダはオリジンサラダ(わーい)
◆実録うちの晩ご飯
・トマトと豆のサラダ(オリジンばんざい)
・シーザーサラダ(オリジーン!)
・チキンのチーズ挟みカツ(ただし焼きカツ)
ポモドーロソース添え
・蒸かしジャガイモ
・コーンと卵とワカメのスープ
妊婦必携(って別に携えるわけではないな、、、)の豆が、
手軽においしいのがありがたい。
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5度!
寒いはずだ。朝も帰りも5度とは。こういうとき電光掲示の温度計って
ありがた迷惑だ。風も吹いて体感温度も低いのに「見るんじゃなかった」感100%。
朝 ゼブラ柄バッグの香水高濃度女性を発見。
それだけなら別にどうでもよかったがなんかチラチラ気になるので
思わずまじまじ見たら スカートもタイツもゼブラ柄だった。
も、もしや生まれ変わり?!
ぜひそのファーコートもゼブラで統一を。
一日強烈に眠い。「眠いなあ・・・」というのではなく、
一瞬前までフフフ、アハハと話をしていたのに次の瞬間コトリと
記憶が消えている。ウツラウツラ、というレベルではなく
コトリ、だ。そしてスピーー・・・。
起きると「どうしてっ」と涙が出そうになる。
これは安定期に入るまで子供(と自分自身)を守るための母体の防御機能らしい。
はあ、まいった。。。たべづわりはとりあえず一段落したもよう。
本当に軽くてよかった。吐きづわりの方には申し訳ないけども・・・。
断続的におなかが痛む。
刺すような、というよりは張っている。
しかし相変わらずそれが 便秘由来か子供由来か寒さ由来かわからず(笑)
便秘も、「だす」動作を押さえ込むことで 未熟な子供が完成前に
母体外に出されることを防ぐホルモンの働きによるものらしい。
人体の神秘はわかった。ほんとに、よーく、わかった。
しかし便秘とつわりと眠気はいらん。
眠いけれどトイレが近い。これも膀胱が子宮に圧迫されるためらしい。
夜寝ていても6時ぐらいに1度目がさめてしまいちょっとくやしい。
帰りが遅くなったのとおなかが痛むのとで、今日は若干手抜き。
オリジン弁当でサラダと白和えを買った。
家では簡単に3品だけ用意した。
そういえば最近晩ご飯メモしてなかった。
体のためにも何食べたか記録しなければ・・・・
◆記録うちの晩ご飯
・ブロッコリーと豆類のサラダ(オリジン弁当バンザイ)
・白和え(オリジン弁当バンザイ)
・すりおろし山芋&千切りオクラ
・ナスのひき肉はさみ揚げ
・舞茸と豆腐の中華風スープ
ちょっとずつ沢山。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 10日 月曜日
名犬ジョリー
先週金曜日の歓迎(され)会で 私が何か犬に似ているという話になった。
何の犬よ・・・と聞いてみると「あーあれあれ 名犬ジョリー」
ジョリーって見たことないからどんな顔かしらない。
私に唯一あるジョリーに関する知識、それは小学校のとき同じクラスだったユアサタケシ(実名ごめん)が
歌ってクラス中の大爆笑をさらったあの歌・・・
「おなかがペコペコになったら(なったら)
ジョリーを半分こ」
私は迷うことなくその場でその歌を歌った。
単に酒の勢いなのだが皆転げて泣きながら笑っていた。
しかしユアサ君のセンスはすごいなあと20年の時を越え私は感動すらした。
そして週明けた今日月曜日。
定時を迎え、私が帰ろうとすると、エレベーターホール脇の喫煙スペースから人の声がする。
挨拶して帰ろうかな、と思ったが内容を聞いて黙って帰ってしまった。
Aさん「、、つまりね、そこで**さん(私)は’ジョリーを半分こ’って歌ったわけよ」
2,3人(爆笑)
Aさん「けどね、よく考えるとその半分のジョリーは、誰と半分こにしたかってことなの。
ジョリーと、ジョリー自身を半分こ、じゃ結構恐いわね」
2,3人(爆笑)
・・・いや、いや、そんな深遠な意味、ないんだよ。
だって小学校のとき、ユアサが考えたことなんだもん。
ユアサ、、、ごめん。
逃げるようにその場を後にした。
強烈な眠気はまだ残っているが、3ヶ月目ってそういうものらしい。
食べつわりはだんだんおさまってきて、久しぶりに夕食らしい夕食を作る。
ただしやはりしょっぱさを強く感じるので薄味・・・
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[TOP] [↓] [↑] 12月 9日 日曜日
寝過ごし
朝7時に起きたはいいが 寝ぼけて
「何の要素が目覚ましを鳴らすのか?」と考えるに及び、
しばらく鳴っている目覚ましを見つめた挙句スイッチを止めてしまった。
というわけで教習所は休み。
間に合うんだろうかあと2ヶ月間で・・・。
体重に変化はまったくなし。1kgぐらい増えてもよさそうだけれど。
こんなもんなのかな、3ヶ月目って。
おなかは出てきた。
ただし内容物が子供由来なのか ベ*ピ由来なのか不明なのが若干心配である。
ハムスターはすっかり家に慣れたようで今では一度床におろそうものなら猛烈な勢いでダッシュをかけ
瞬く間に視界から消えてあわてさせる。
しかし所詮ネズミなのでヒマワリの種ほしさにノコノコでてくるヤツである。
大人になったからなのか冬支度からか、食事量は増えていないがかなり丸くなった。
たまにねぼけてひっくりかえってビックリして目を覚ましているのが愛らしいところだ。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 8日 土曜日
1ヶ月ぶりの
1ヶ月ぶりの教習所。
しかし、仮免後初、なのだった。1ヶ月ぶりの初乗車はなんと初路上。
優しい先生であったにもかかわらず2回ほど真剣に怒鳴られた。
いや恐縮。
運転中は手も足もかなりリラックスしていたが、下車して5分後
ドッと汗が噴出し、胃が痛くなった(笑)
明日も乗らなければ。
相方がsimsの拡張パックを買ってきてくれた。
今度は家から飛び出られるらしい。しばらく遊べそう。
先週ぐらいから何を食べても塩っぽく感じる。
しょっぱいのだ。多胎は単胎以上に妊娠中毒になりやすく、塩分には
殊に注意しなければならないので体がそういうシグナルを出しているのだろう、
人体て不思議だな、、、とのんきなことを考えながら食事を全体的に薄味にしていたら
さっき食べたアイスまでもがしょっぱい、ような気が・・・味覚障害なのだろうか?
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[TOP] [↓] [↑] 12月 7日 金曜日
晴れたが
北風が強く寒い。
今ごろだがブラウザをOperaにしてみた。つかってみたところ会社のwebベースのグループウェアで
正常に動かない場合のあることが判明。
でもなんだかちょっと悔しいのでそのまま使っている。
サーチエンジンの編集ができると嬉しいんだけど・・・お金が絡んでるだろうから無理か。
(googleを日本語サイトにするには日本語版が出るのを待つしかないか)
本日新しい会社で歓迎会をしていただく。
グループウェアの掲示板で散々ボケ倒したが誰も突っ込んでくれず
もうだめだと悲嘆の涙さえ流しそうになっていたが(?)
実は突っ込まないのではなくうまく突っ込めずにみんなは涙が出るほど笑ってくれていたらしい。
ボケは突っ込んでこそ花という話をしたが、結局掲示板のネタ話で
盛り上がってくれて満足。
というか誰かほんと突っ込んでください、はい。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 6日 木曜日
ノボー
朝からボーとして出社すると駅のパン屋で同僚を見つけた。
おはようーと声をかけるとまじまじ顔をのぞきこむ彼女。
ああー顔色悪いんかな、いかんなあと思ったら 彼女が一言
「ほんと**さんていつ見ても顔色いいですよねえ、んもううらやましくなっちゃう〜」
ガーン(死語)まああからさまにってのもナンだけどこういう時は少しぐらい具合悪そうでもいいではないか。
でも不思議なものでそれで大笑いしたらしばらくまた平気。
隣の席の女性と、直属の先輩にだけ妊娠したことを伝えた。
(実際には先週から今週にかけて)
双子だと単胎以上にリスクが高く何かとご迷惑をかけそうだったからなのだが
仕事に詰まって ウーンとうなるといっせいに二人から
大丈夫?!と声をかけてもらったりして。
反省することしきり。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 5日 水曜日
ほんとは天気わからない
今朝いつもどおり出社2時間前に起床する。
昨日はいつもより早く寝たのに気分が悪く、ほとんど動けず。
相方の朝食の仕度をして起こしたあと横になったがどうしてもよくならず
結局会社を休んでしまった。
はぁ・・・と思うまもなく怒涛のように睡魔が襲い相方を見送ったあと
朝食も食べずに倒れるようにして夜21:00ぐらいまで昏々と寝ていた。
途中トイレに2回ほどおきて、こんにゃく畑を食べたような気もするが
はっきりしない。恐るべし眠りつわり。
夕食は申し訳なくもコンビニでお弁当を買ってきてもらう。
食欲がある分ありがたい。
家では緑茶か烏龍茶を飲んでいるが、そろそろ 麦茶かほうじ茶に
切り替えないといけないなあ。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 4日 火曜日
久々雨
3週間ぶりだそうだ。そういわれてみればずっといい天気だったなー。
と思いながら朝から意識モウロウ、足フラフラ。
寝不足ではない、そうだ今9週目だから つわりも絶好調なのだ。
一日 ぼーっとして始終激しい睡魔に襲われる。
・・・眠りつわり&食べつわり、ダブルパンチ。
客観的に見たら単なる「やる気のないやつ」になりさがっていた。
一日テンションが低く、昨日からのシステムトラブルにもかかわらず
まったく気が回らない。
そんな自分にイライラするが、集中力が極度に散漫になっているため
イライラもまったく続かない。
イライr・イ・・ス・・・スピーと寝ている次第。
食べつわりはいい。食べれば治るから。
眠りつわりは・・・勘弁してくれ・・・。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 3日 月曜日
驚愕2件
久々に残業で帰りが遅くなったが、我ながら酔拳と見まがうほどグラグラになっていた。
食べつわりなのに何も食べずに長時間いたため、非常に気持ち悪かったのだ。
傍から見ている人たちは面白そうだったがこっちは必死である。
私がヴォミったらその笑顔は即座に闇へと葬られただろう。、、、、私も一緒に。
なんとか家にたどり着いた。
息も絶え絶えだったが 家のポストを見たらほんとに息が止まりそうになった。
「電報配達・不在通知」("いらっしゃらないので持ち帰りました")
がはいっていたのだ。
初めて見たよ 電報の不在通知。
「チチキトクスグカエレ」「カネカエセ ニンピニン」などという文面が脳裏をよぎり激しく動揺した。
いや電報っていただいたことないのでもしかしたら ドラえもん電報かもしらんが。
ドギマギしながらもよく見たら それは前この住所に住んでいた人への電報だった。
偶然にも 姓こそ違うものの、同名さんが住んでいたのである。
今までも何度か「大切なお知らせ」という金融機関からの手紙が届いたりして
都度私の寿命を縮めていた人である。
紛らわしいわ!NTTに即効電話して表札はちゃんと読もうねとヤンワリと苦情。
少し復活して、みかんを食べてしのぐが低血糖状態で頭がボーっとしている。
相方が「なにかとろうよ」という話をしてくれて、ありがたくデリバリーをすることにした。
電話をかけて オーダーをした。
オーダー係が「電話番号XXXX-XXXXですね?」と確認するので
私は モウロウとしながらも「はい、そうです」と答えた。
すると オーダー係のおにーちゃん、あろうことか
「名前は **のほうですね?」
つまり、佐藤だったら「名前は、さとうのほうですね?」
田中だったら「たなかのほうですね?」山田だったら、、、、もういいけど。
とにかく呼び捨てにしたのだった。
いつもだったらそこですかさず突っ込んだかもしれないが あまりに衝撃的&
低血糖的だったので何も言われず。
名前がらみで2回も驚いた。いやもうほんとに。
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[TOP] [↓] [↑] 12月 1日 土曜日
8週目?検診
2回目の胎児検診にいく。
1人に減ったり3人に増えたりしてないかとドギマギしたが
(双子が経過中1人に減ることは時折あるらしい。3人に「増える」ことはないのだが
実際よく見えずに三つ子が後期に発覚ということはあるという)
いまのところ2人とも 勾玉型でピコピコ動いていた。
勾玉(お魚型)が縦に同じ方向に並んでおり (’’←こんな感じ)大きさは共に2cm程度。
先生に最後に授精したのはいつですか?と尋ねられ
「ジュセイ?ん?ジュセイ?・・・・」授精と気づくのに若干時間がかかりいろんな意味で混乱(笑)
結局焦るばかりで思い出せず(思い出せないほどしてるわけではない)
いい年して「思い出せません、、、」とモジモジしてると
「うーん、**日頃だと計算があうんだけどなー、どうです?
思い出せない?じゃ次の検診のとき、お子さんの大きさで出産予定日を決めましょう」
なんだそういうもんなのか。
いろいろ調べていたつもりだったが、まだまだ勉強不足。
母子手帳も12週検診を受ける際に用意するということで、次回10週検診時に判定するらしい。
元気に育てよお魚2匹。
前回も書いたとおり先生は熱い男で、私がいろいろ質問すると
丁寧に答えてくれたあとで
「私のところで産んでくれた双子は3組でね、帝王切開もあったけど、、、産まれるときはワクワクするね」
とほんとにワクワク顔で語っていた。
そういえば待合室で相方と呼ばれるのを待っていると産気づいた臨月の妊婦さんが
旦那さんに付き添われて入ってきた。
旦那さんは一見落ち着いていたものの、手に持った(多分奥さんを車に乗せた際の)クッションをギュっと握りしめており
先生に「(子宮口が)6cmあいてます、もう少しですね」といわれると
オウム返しに「ロクセンチ、ですか」と口走り、またクッションを握っていた。
奥さんは脂汗を出しながらも落ち着いており、様子を見ていたら
オカアサンになるとはかくも強いことなのだと感動して涙が出そうになった(アホ)
病院から戻ると夜のおでんパーティのために仕込みを始める。
吐きつわりではないので煮込み系、炊飯まったく問題なし。
おでんパーティでは友人夫婦と大いに盛り上がる。
おでんは具が多すぎて残ったものの、お吸い物もご飯も
テリヤキチキンサラダもほとんどきれいになくなった。
妊娠を伝えると、祝ってくれた後で双子の名前は考えておくからーと言って二人は帰っていった。
本当に気の置けない友達である。
当面の問題は、作りすぎて残ったおでんを明日また食べなくちゃ・・・ということだ。
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